〈上の絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチ 洗礼者ヨハネ〉
洗礼(バプテスマ)について書きたいと思います。キリスト教の歴史において、教団、教派によって多少の認識の差があります。しかし、ここでは神学的な論争は避けて、私の意見を述べたいと思います。
ちなみに私は中川健一先生の上の動画とひとまずはほとんど同じ考えだと思っています。
また、私の基本的な聖書理解は、アンドリュー・マーレーやD・M・ロイドジョンズの影響が大きいと思います。
【3つのバプテスマ】
1. 水のバプテスマ
これは〝悔い改めのバプテスマ〟とも呼ばれています。洗礼者ヨハネがヨルダン川で大勢の人々にこの悔い改めのバプテスマを授けていました。そこには、「自分の罪を悔い改め、神によって新しい人生を歩む」という意味があります。
キリスト教会で一般的に授けるバプテスマはこの水のバプテスマです。しかし、ここから大切なのですが、ヨハネのバプテスマと、さらにイエス・キリストの御名によるバプテスマが合致したものとなります。後者の意味合いが強いです。(正直言って悔いることは誰にでもできる。しかし、神に向かって、神に倣って生きることはこれこそ人ではなく聖霊の業なのです)
この水のバプテスマは…罪を悔い改める。キリストと共に罪に死に、キリストと共に生きる。…やがて復活する。
こんなことが含まれます。…ちょっと難しいですね。
【関連する聖書箇所】
洗礼者ヨハネの言葉
《ポイント》
洗礼を受けたから救われるのではありません、
むしろ、救われたから洗礼を受けるのです。
仮に誰かが洗礼を受けたとしても、そこのイエス・キリストへの信仰が全くなければキリストに結ばれとは言い難いのです。聖書を見まますと、キリストはいつも人の〝信仰〟をご覧になられていることがお分かりになると思います。
ー余談ー
こういう人に出会った。その人は10年間教会に通っているらしかった。
「私はイエス・キリストを信じていません(ほとんど信じる気持ちがないようだった)。だから、私が死ぬ直前に洗礼を授けてくださいね」
この人は明らかに洗礼を受けたら救われて天国に行けると思っていた。
私は驚いた。今まで10年間教会で何を学んだのだろうかと(逆にこの教会は何を教えてきたのだろう、せっかく10年間もこの男性は通っていたのに、と)。
…ですからですね。
⭐️聖書って誰から学ぶのかがとても重要だと思います。学問や知識ではないですからね。
その教える人の霊性、知性、経験、信仰までもが人に伝わるのです。
その意味で、信仰熱い、神の人に教わるのがめちゃくちゃ重要なのです。
エチオピアの宦官は、ピリポから聖書を教わったんだよね。
そして、エチオピア全土に教会が建てられていったのです。