〈上の絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチ  洗礼者ヨハネ〉

洗礼(バプテスマ)について書きたいと思います。キリスト教の歴史において、教団、教派によって多少の認識の差があります。しかし、ここでは神学的な論争は避けて、私の意見を述べたいと思います。

ちなみに私は中川健一先生の上の動画とひとまずはほとんど同じ考えだと思っています。

また、私の基本的な聖書理解は、アンドリュー・マーレーやD・M・ロイドジョンズの影響が大きいと思います。

【3つのバプテスマ】

1. 水のバプテスマ

これは〝悔い改めのバプテスマ〟とも呼ばれています。洗礼者ヨハネがヨルダン川で大勢の人々にこの悔い改めのバプテスマを授けていました。そこには、「自分の罪を悔い改め、神によって新しい人生を歩む」という意味があります。

キリスト教会で一般的に授けるバプテスマはこの水のバプテスマです。しかし、ここから大切なのですが、ヨハネのバプテスマと、さらにイエス・キリストの御名によるバプテスマが合致したものとなります。後者の意味合いが強いです。(正直言って悔いることは誰にでもできる。しかし、神に向かって、神に倣って生きることはこれこそ人ではなく聖霊の業なのです)

この水のバプテスマは…罪を悔い改める。キリストと共に罪に死に、キリストと共に生きる。…やがて復活する。

こんなことが含まれます。…ちょっと難しいですね。

【関連する聖書箇所】

洗礼者ヨハネの言葉

私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その方の履き物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。マタイ3:11《新改訳》
イエス・キリストの言葉
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」イエスは答えられた。
「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。ヨハネ3:3、5 《新改訳》
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。マタイ28:19〜20 《新改訳》

《ポイント》

洗礼を受けたから救われるのではありません、

むしろ、救われたから洗礼を受けるのです。

仮に誰かが洗礼を受けたとしても、そこのイエス・キリストへの信仰が全くなければキリストに結ばれとは言い難いのです。聖書を見まますと、キリストはいつも人の〝信仰〟をご覧になられていることがお分かりになると思います。

ー余談ー

こういう人に出会った。その人は10年間教会に通っているらしかった。

「私はイエス・キリストを信じていません(ほとんど信じる気持ちがないようだった)。だから、私が死ぬ直前に洗礼を授けてくださいね」

この人は明らかに洗礼を受けたら救われて天国に行けると思っていた。

私は驚いた。今まで10年間教会で何を学んだのだろうかと(逆にこの教会は何を教えてきたのだろう、せっかく10年間もこの男性は通っていたのに、と)。

…ですからですね。

⭐️聖書って誰から学ぶのかがとても重要だと思います。学問や知識ではないですからね。

その教える人の霊性、知性、経験、信仰までもが人に伝わるのです。

その意味で、信仰熱い、神の人に教わるのがめちゃくちゃ重要なのです。

そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。    使徒の働き8:27〜39《新改訳》

エチオピアの宦官は、ピリポから聖書を教わったんだよね。

そして、エチオピア全土に教会が建てられていったのです。