佐々木満男弁護士に前回の内容を元に意見を聞いてみました。

趣旨には全く同感であるとのことでした。

しかしですね。

流石だなー。って思いましたので、賢人の見識を一部ご紹介します。

…しかし、長年にわたって福音伝道の最先端を歩んできた者の一人として、私は「福音のためには手段を選ばない」という考えになりました。
99%という日本人が福音を受け入れていない状況で、それぞれのクリスチャンが個人で、小グループで、教会で、団体で、それぞれの個性を生かして福音を伝えればよいと考えます。
大切なことは、方法や型ではなく、愛と喜びをもって伝えることではないかと思います。言い換えれば、聖霊に満たされて福音を語ることではないかと思います。聖霊によらなければ、誰も真の意味で「イエスは主である」と告白することはできません。…ですので、それぞれが、夢中になって(ということは、聖霊に満たされて)できるやり方で福音を伝えればよいのではないかと思います。
最大の問題は、あまりにも多くのクリスチャンや教会が福音を伝えないことだと思います。自分が救われたことに満足して人々の救いにまで関心がないのだと思います。  佐々木弁護士より

 

 

以下は最近考えたこと。

私はちょうどこの半月あまりの間に二つの聖書箇所から、神から与えられた〝人それぞれの特性〟というものをを深く感じていました。

①Ⅰコリント15:38〜44

神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。

②創世記1:11〜12

神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。

神様は私たち一人ひとりに、持ち味を与えてくださっている。それに、個々人が気がついてそれを用いることですよね。前回書きましたが、ロイドジョンズ師は、朝祈ることが自分にはあっていなかったと正直に言っています。朝に祈りがあっている人もいれば、夜に祈りの時間を取ることがあったいる人もいる。伝道だって様々ですよね。

誰もGTHのように一日3〜4時間は祈れません…。

 

つい先日、東京リバイバル主催の「祈りのリバイバル」集会が3日間行われました。そのメッセージの一部。

日本のクリスチャンが2%になるためには、50人の教会が5万できる必要がある。

現在は8000程。これをどうやって実現していくのだろうか。これまでの直線上の流れだとあと数十年かかるだろう。いや、はっきり申し上げてるとほとんど不可能。

これを可能にするのは、これまでの直線上にない教会の働き。これを神様の助けによって創造的に取り組んでいきたいと思います。