リバイバル集会についての参考記事  一部抜粋と編集しました

Preaching&Preachers(説教と説教者) 1971  D・M・ロイドジョンズ

…さらに大きな問題へと向かうことになります。つまり、説教者はこれまで考察した様々の方法でメッセージを語りますが、それが終わるとすぐに決心の訴えをすべきかどうかという問題です。この行為を表現するのに「オールター・コール(決心者を講壇に招く)」、「インクワイアリー・ルーム(決心者を導く部屋)」、「ペニタント・フォーム(悔い改めをする人のためのクラス)」、「アンクシャス・シート(伝道集会で特に罪の赦しを得たいと思う人の座る席)」などいろいろな言葉が使われてきました。
これは今日(1960年代と推測)かなり顕著になっている主題なので、取り扱う必要があります。
…私はこの十年、大勢に牧師から、決心の訴えをしなかったというだけで、福音を語らなかったと礼拝後に人々から言われたと言う話を聞いています。ある3人の牧師が招聘されましたがメッセージの終わりに必ずオールターコールをしていないと答えると、受託が覆されてしまいました。これは第二次世界対戦後から起きている事柄の結果として、大変深刻な問題です。
…歴史的なアプローチはいつでも役に立つものです。これが教会生活に入り込んだのは前世紀(19世紀)に過ぎないという事実に多くの人は気づかないようです。1920年代の頃ーそれはチャールズ・フィニーの時に流行し始めました。アンクシャス・シートを持ち込んだのは彼で、即座に決心を求めるものでした。これは彼の考え方の本質的な部分でした。当時、それは大論争を引き起こしました。
この論争の二人の偉大な主人公はW・H・ネトルトンとチャールズ・フィニーでした。
ネトルトンはオルター・コールやその場での決心を訴えることは一度もしなかったのですが、大変用いられ、かなり多くの人が彼の働きで回心し、教会に加えられたのです。教理的にはカルヴィニストで、彼は自分の信条を実践したのです。
しかし、その頃、即座の決心を意志に訴えかけるフィニーが登場し、大論争を引き起こしました。多くの牧師はこの二人の意見の間で大いに困りました。
ライマン・ビーチャーは初めはネトルトンの味方でしたがついにフィニー側に回りました。チャールズホッジ、J・W・ネヴィンもそうでした。
以上がこの慣習の生まれた歴史で、これを知ることは重要です。…突き詰めるとこれは神学の問題だからです。しかし、これは神学の問題にとどまりません。ジョン・ウェスレーなどアルミニウス派の人々はこの方法をとらなかったことを決して忘れてはいけません
私自身(ロイドジョンズ)はこの習慣に従わなかったことを率直に述べる。
まず第1に、直接意志を圧迫するのは確かに間違いだということです。人間には知・情・意があります。ですから、私は、人は直接的に意志に圧力をかけるべきではないと主張します。意志はまず知性を通し、次に感情を通してアプローチされるべきものだからです。意志の働きはこれらの影響力によって決定されるべきものです。こう述べる聖書的根拠はローマ人への手紙6:17にあります。その箇所でパウロは、「しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、」と述べています。順序に注目してください。…換言すれば、服従とは意志に対する直接的圧迫の結果ではなく、啓発された知性と柔軟にされた心の結果なのです。私にとってこれは決定的なポイントです。
…説教について私たちはみことばの真理を提示すべきであり、明らかにそれは、まず何よりも知性に対するものであるべきです。私たちがこの順序、原則を離れて、他のいずれかに直接近づこうとすれば、自分から問題を求めることになります。しかもそうなることがよくあるのです。

規模の大小に問わず現代リバイバル集会でよく見られる光景である。

伝道者ビリー・グラハムもこの方法を採用していた。事実、たくさんの決心者を起こしてきた。彼の影響は大きい。…ともあれ、現代の牧師たちはほとんど見よう見まねでこの方法を採用しているのではないだろうか。形式的に。

このスタイルが、後押しとなり、私が以前の記事で書いたように、慣例化したリバイバル集会でのクリスチャンの〝さらなる悔い改め〟や〝再献身〟などが儀礼的に使われているように思える。要するに意志に圧迫を加える方法だ。全く聖霊の業ではない。ビリー・グラハムを思えば、彼の優れた〝説教〟があったからこそ、知性→感情が伴った言えると思う。知っている人は知っていると思うが、神から来たメッセージには聖霊の力が宿るものである。

辛口に書きましたが、ふつうの牧師は悪い動機でそれらをしているのではない。こう言った歴史背景や神学、そして、伝統を形式的に継承しているからそうなっているのであろう。本質を目指すべきだと思う。

しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、ローマの信徒への手紙6:17 《新共同訳》