先週の金曜日。都庁職員のAくんと話題の映画〝ジョーカー〟を観に行ってきました。

Aくんからぜひ観に行きましょうとのことで、よし、行ってみよう!となりました。

…考えてみると、私ひとりならまず観に行くことはありませんでした。こんなことでも、やはり仲間がいるということは、行動も変わるんだななどと思いました。

 

個人的感想。

ジョーカーは、最高に良かったです!

1、まずは全てのクオリティの高さです。演技、映像、カメラワーク、シナリオ…。

全く飽きませんでした。

2、彼がいかにしてバットマンの残虐非道の宿敵になるのかが描かれています。ですから、ふつうに観れば、悲しくて、後味の悪いものを残すこともあると思いました。

③だからこそ、エクレシアが必要だと思いました。以下は私の映画鑑賞直後の感想。Twitter

秀逸!全てがハイクオリティだった。

結果、私の心は燃えに燃えたんです。

聖霊によって。

だからこそ、国や社会や法では解決できない暖かい人間関係が必要だってこと。

新しいエクレシア運動。

逆にクリスチャンのジョーカーが出てもおかしくない。

希望に溢れた。Amen

 

私は燃えました。希望に溢れました。(隣に座っていたAくんは私に「どうしたの?」という反応でした。笑)

だからこそ、キリストのからだ、真のエクレシア、暖かい人間関係が必要なんだと思いました。

こんな社会の闇を照らす、クリスチャンのコミュニティを作りたいと。

誰もが行きやすい、入りやすい、クリスチャンのコミュニティが日本中に点在するようにと。

そんなことができるなら、この社会にクリスチャンのジョーカーだって現れるかも知れないと。

私がそうなりたいと思いました。

国や法や制度では解決できない様々な問題を解決できるコミュニティが点在するように。それはキリストを頭としている。

私は平日は仕事をしているし、宣教活動にほとんど時間を取れません。

私の残された人生を思い、できれば来年は100%、宣教と教会作りに専念したいと思う。

でもそれには財政基盤がないわけで…。ないうちはやはり仕事を続けるしかない。が、生産性が今はない。

このジレンマで今後も過ごすことは考えられなくなりました。献身した生活を送りたい。

⭐️本来、お金というのは必要なことろに流れるもの。キリストを必要としている人は限りない。キリストこそ、エクレシアこそ、お金にも代えなれない最も必要なもの。それを思う時、この経済の矛盾を乗り越えられないかと思うのです。

ジョーカーとヨブ。ジョーカーは生まれた時から苦労が多く、彼の希望は闇に染まった。ヨブは中盤まで神の恵みに包まれていたが、サタンによって崩壊。闇が彼を襲い蝕む。ヨブが立ち直ったのは神の恵みであった。

その日は闇となれ。神が上から顧みることなく/光もこれを輝かすな。暗黒と死の闇がその日を贖って取り戻すがよい。密雲がその上に立ちこめ/昼の暗い影に脅かされよ。闇がその夜をとらえ/その夜は年の日々に加えられず/月の一日に数えられることのないように。ヨブ3:4〜6

わたしは幸いを望んだのに、災いが来た。光を待っていたのに、闇が来た。ヨブ30:26

ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた。兄弟姉妹、かつての知人たちがこぞって彼のもとを訪れ、食事を共にし、主が下されたすべての災いについていたわり慰め、それぞれ銀一ケシタと金の環一つを贈った。主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。ヨブは、羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ、長女をエミマ、次女をケツィア、三女をケレン・プクと名付けた。ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった。彼女らもその兄弟と共に父の財産の分け前を受けた。ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。ヨブ42:10〜17