私の知る限りでは、一度リバイバルが起こった教会に二度のリバイバルはなかったということだ。

私はそんなに調べた訳ではないが、そう思う。調べる程時間がある訳でもない。佐々木弁護士に聞いたところ、「うーん、確かにそうかもしれない」とのことだった。

もしそうなら私は一つの推測が立つ。

簡単に言うとこうだ。

教会には良いところとそうでないとところがある。

どんなに立派な歴史がある教会でも、傷をついて出て行った人々がいるのだ。どんなに素晴らしいと言われる教会でも、世に出る特集や文面は良いことが書いてあるが、一度そこに身を置いた人はわかる。不幸にも傷ついた人々がいることを。こういったことは、決して表には出ない。そもそも人の集まりなので、そういったことは必然的に起こり得るのだが…。

問題はそうしたら出来事を教会が放置したことだ。耳を傾けなかった。

そうしたクリスチャンの心の叫びに耳を傾け、親身になったのだろうか、と。

私は教会にリバイバルが起きないことにこんなことがひとつの理由にあげられると思う。

そして、教会では習慣的に教会成長のための祈祷会や、必要なことのために祈る。病気の人のためにも祈る。しかし、フォローすべき人、目の前の問題を放置しておく…。これらははっきりと牧師や主だった信徒が必ず把握しているのに。

どんなに熱心に祈っても、、、。私はそう思うのだ。

〝神の義〟に適っていないように思う。私は上記を嫌という程見てみたから、一応はこう言える。

滑稽ではないだろうか。

そして、リバイバルが起きない理由(もしかして単に教会が成長しない理由)を自分たちの祈りの足りなさや、信徒の献身の足りなさや、悔い改めの足りなさに帰結する。

信仰義認の神髄はどこにいったのか。主イエス・キリストの完全な罪の赦しはどこにいったのか。

この終わりのない回帰巡りをキリスト教会は数十年してきたのではないか、と私は思った。

しかし、私はある時ふともうひとつの可能性を見いだした。

→続く