ヨブ記をざっと読んだ。

先日は一日中家にいた。私は何となくヨブ記を開き、ただヨブの主張だけを読み続けた。

ヨブの悲痛さを再び深く感じた。またヨブの言葉選びと洞察の深さに驚いた。何度読んでもひきつけられる。

そんな時、ある言葉に驚いた。

全く予期していなかった。

こんな言葉が聖書にあったのかと(今まではふつうに読んでいた、気づかなかった)。しかし、今回はふつうに気がつき驚いた。

わたしの人生の日々は/飛脚よりも速く飛び去り/幸せを見ることはなかった。ヨブ記9:25《新共同訳》

飛脚🏃‍♂️〟という言葉だ。何とも日本的な翻訳。私のイメージでは水戸黄門や時代劇に登場するあの〝飛脚〟だ。ちょっと笑ってしまった。

そこでさらに思った。

もう少し的確な言葉がなかったのだろうか、と。

きっと翻訳の学者たちも多分悩んで当てはめた単語のはずだと思った。

それにしても「人生の日々は飛脚より速く」って。一体どんなたとえだろう。この真剣な話の中で…。

一方で、こうも思った。

なるほど〜、飛脚ってめちゃくちゃ速かったんだ!と。たしかに伝令を届けるってそういう人ですよね!

そういえば、ヨブ記って聖書で最も古い書簡なんですよね。族長時代だからアブラハムと同時代です。そう考えれば、確かに速いものって言えば、飛脚だったのかな。馬や鳥はどうだったんだろうなどと思いました。よく読むと続きにこう書いてあるんですよね。↓
葦の小舟に乗せられたかのように流れ去り/獲物を襲う鷲のように速い。ヨブ9:26

人生とは、

獲物を襲う鷲より速い!と、やはりこうたとえますよね。

葦の小舟の乗せられたかのように←なんとなく漂う、方向も土台も不安定。そんなイメージを持ちます。すごい表現だなと思います。

私はヨブが大好きです。苦しみは人と比べる事象ではないと以前書きましたが、それでもヨブの苦しみは極地であり、それを経験したヨブに、私はとても親しみが湧くのです。