私のアイデンティティとは。
最近、ある人と時間をとって話し合った。その時に偶然生まれた話題だった。
そこで、ふと、詰まってしまったのだ。
私は何者なのだろう。
クリスチャンになって20年、献身して、牧師にもなって全力で尽くしてきたが、今は成れの果て…。神の子なのに。救われたのに…。この無念さ、悲しさを理解してくれる人がいたら涙が出る。
みんなが成功!?していく姿、幸せな笑顔が、ニュース、画像がSNS上ですぐに見れる。
私はなおもひとりで、コツコツと職場の子どもたちのために働き、誰かを励まし、会えない実の子どもたちに仕送りし、暮らして来た。
イエス様「あなたは誰ですか?」
私「灰色の踏み台です」
もちろん、「あなたによって救われた者です。神の子とされた者です」。…こんな答えもある。
灰色の踏み台。それは誰かの成功、幸せの陰に生きた者だと言うことだ。
しかし、彼らは私の存在を気にも留めない。よって灰色なのだ。
私は心の奥で、本当にそう思って生きて来たことを知った。
それが私のアイデンティティだったのだ。人がアイデンティティ通りに生きることを知っている。故にまた悲しくなった。
…とても辛かった。
しかし、これをあの瞬間でこのアイデンティティは本当に真実なのだろうかと考えた。
→続く