非常に重要なテーマ。

自分は何者であるのか。人は誰でも自分のアイデンティティの通りに生きるようになる。そう聞いたのは人生で数回か。

およそ4年前。ある説教者がこう言っていた。私たちは〝赦された罪人〟なのか、〝赦された義人〟なのか。

聖書的な答えは、後者だ。罪人というアイデンティティをもっているとやはりその通りに生きる。とは言え、クリスチャンになった以上はふつうは積極的に罪を犯しながら生きることはしないだろう。しかし、何かあれば自分を責め、自戒し、何となく自由がなく、喜びのない人生を送ってしまう、これは日本人クリスチャンに以外と多い。

とくに罪を犯したわけでもないのに、〝悔い改める〟ことを習慣化しやすい。そしてそれを美化する。(もちろん、悔い改めることはよい?ことであり、神の前にそうすることも必要だとは思う)。つまり十字架の恵みを忘れない!ということ。

話を戻すが、クリスチャンの身分は〝義人〟であるべきだ。だって、イエス様が私たちの罪の代わりに死んでくださったんだからね。

もちろんこれは、二度と罪を犯さないとか、完全な人になるということではない。そんな人!?はイエス様しかいないからね。神だけど。

アイデンティティの話に戻す。

私たちは自分のアイデンティティによって生きる。そう生きてしまう。故に、赦された義人というアイデンティティは非常に重要だと思う。

罪の赦しがあるから、喜び、自由、解放、があるのだから。

自分を無理に責めるのではなく、明るく、のびのびと生きる。

天のお父様はこっちを願っておられる。

そう生きたいものです。

だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 ローマ8:33〜34 《新共同訳》