Facebookでつながりのある純福音教会の妹尾先生の翻訳記事。2018年4月頃

とてもいい内容だったので保存しておきました。

韓国でも多くの牧師から、牧師の牧師として慕われ尊敬を集めている、洪ジョンキル先生のコメント。一読の価値があります〜〜

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洪ジョンキル牧師
「私は偽牧師であった弟子訓練の矛盾

ソース元:中央日報      翻訳:妹尾光樹

洪ジョンキル牧師(南ソウル恵み教会元老牧師)が中央日報日曜版である中央サンデーで、イースター記念のインタビューを受けた。彼は「礼拝は演出、牧師はエンターテイナー牧会が消えた」というタイトルのこのインタビューで自省と警鐘の声を発した。

洪牧師は「牧会を始めて50年が過ぎたが、教会を開拓した最初の3年間を除いては、私は牧師と呼ばれるのにはふさわしくなかったように思う。」と語った。

「牧会の本質は、ヨハネの福音書10章に記されているように、羊飼いは羊を知っていることであり、羊は羊飼いの声を聞くことだが、開拓3年が過ぎた頃から、教勢が500家族になり、信徒数が2,000人になると、信徒一人一人を覚えて祈ることができなくなった。」と打ち明けた。

洪牧師は「誰が羊なのかもわからなくて、牧師だと言えるだろうか〜大教会になると、いつの間にか牧会は消え去り、マネージメント(management・管理)だけが残った。」とし「主の目に私は偽の牧師だったのだと思う。だから、悩みが多かった。」と打ち明けた。

今やメガチャーチがたくさん生まれた「韓国教会が最も忘れていること」について、「何よりも牧会の本質を見つけられずにいる。私たち第一世代は信徒が教会に集まる時期であった。しかし、知識と経験がないため、米国の大型教会をベンチマークするしかなかった。」「問題は、その過程で日に日に大きくなる自分の教会をどのようにすればうまく維持・管理することができるのか、すべての関心がそこに集中してしまったのだ。教会は、牧師と信徒が、人格と人格の深い交わりを持ち、それが牧会の現場の土台とならなければならないのに、いつのまにか、人格のない牧会になってしまった。」と指摘した。

「キリスト教の本質」については、「当然魂の救いだが、韓国教会の福音主義者たちは、救いの半分だけを教えてきた。」とし、「ひとりしかいない息子を十字架で犠牲のささげ物とし、人間に新しい命を与えたのが救いの本質である。また、新しい命に再び生まれたら、それにふさわしく生きなければならない。」と強調した。

彼は「聖書は善いことを熱心にすることや、救われた者としてふさわしく歩むことを教えているが、韓国の教会は、それを忘れてしまった。」「私たちの言葉(韓国語)では、命・生き方・生活、はそれぞれ別の単語が使われているが、英語は「life」という一つの単語だ。しかし、私たちはこれを分けて考え、新しい命を得たことで止まってしまっている〜〜生活につなげる努力は無視してしまった。それとともに、非常に利己的なクリスチャンの生き方になってしまった。物質・健康の祝福を受け、子供たちがいい生活をする….福音の本質は消え、自分中心の宗教だけが残った。」と自己批判をした。

「教会の大型化・世俗化論争」の問いには「ほとんどの大型教会の礼拝は、演出がなされてしまっている。牧師も良いエンターテイナーにならなければ成功したと認められない。信徒はどうなのか。週に一度日曜日に教会にいくことで信徒の義務を果たしたと考え、日常の生活の中で十字架を背負っていこうと努力はしない。十字架を頼って生きていこうとは考えない。」とした。

「韓国教会は実践の宗教であった。31独立運動も教会が主導していなかったか。当時のクリスチャンは人口比1.4 %に過ぎなかったが、牢獄で死んだ人の3分の2は、クリスチャンではなかったのか。喜んで十字架を背負ったその時の初心は今どこに行ったのか。」と反問した。

「若い層の教会離れ」に関しては、「根本的な原因は、大人にあった。お母さんやお父さんが教会の長老・執事だが、イエスを信じて救われたとしながらも、行いが伴わないから、子供たちが教会に行く気がしない。」とし「最近の若者たちはスマートに見えるが、上の世代の言葉にはだまされない。韓国教会の愚民化が危機を招いている。」と診断した。

また、「教会では救われると聖書の勉強を始める。弟子訓練とも呼ばれており、これが大きな矛盾を生んだ。」とし「牧師は弟子訓練プログラムでネットワークを作り始めた。勉強するには、教会に来るしかないので、このプログラムを行うためのネットワークで、信徒たちを教会に縛ってきた。」と説明した。

彼は「問題はそこにとどまっているという点だ。聖書の勉強は知識と情報を学ぶだけではなく、人生が変えられるのが目的でなければならない。牧師が自分の生活の様子を見せていないので師がいない弟子訓練となってしまった。」とし「韓国教会に第2の宗教改革が必要だという声が大きくなっている理由の一つ」とも語った。

教会世襲議論には「神の法に従う人が自分の教団の法に従わないことは、根本的に矛盾」「最も残念なのは、息子に一生のくびきを引き継がせたという点である。以前に世襲した2世の牧師たちも最近は多くの困難を覚えている。そのくびきをなぜ受け継いだのかと苦しんでいる。自分が成し遂げ立てあげた大きくて良い財産を、他人に与えることができないので、息子に引き継がせるという考えは、世族的な欲であるだけだ。」と指摘した。

「イースターの意味」については「イースターの前には必ず受難週間があることを忘れてはならない。死があったからこそ復活も可能だった。ところが、韓国の教会は、復活の栄光だけを強調し復活前の苦難は疎かにしてきた」「死のない復活は実体のない空の墓に過ぎない。まず、犠牲があり、まず低くなる日常の生活を通して苦難を耐えていくとき、復活も意味があるものだ。」と提言した。

そのためには、「自己省察の力」が必要だとした。彼は「最近明け方に起きて祈る前に30分間、昨日の生活を一つずつ振り返ってみる。私は言葉の傷を与えたことはないか、間違った動きをしていないか、世の誘惑に陥ってはいないか。悔い改めていると、終わりがない。」「悔い改めは、すなわち自己省察だ。ここから始めなければならない。」と呼びかけた。

最後に、後輩牧師に「前の世代の真似をするのではなく、前の世代を越えて道を切り開くことを望む。それが先輩方への最高の接待〜」「大教会の牧師の成功事例をそのまま踏襲すると、既存の世代の奴隷になるだけである。そして何よりも、イエスを信じる信仰生活をしっかりとすべきだ〜当然のように思える言葉だが、自分が積み上げてきたもの、目に見える世界の経験だけによりゆだねて、イエスを信頼していない姿〜、しばしば牧師たちにも見えることである。」と伝えた。