日本で最初のキリスト教結婚式が行われたのは、記録によると1873年であるとされています。新郎は英国籍の中華系シンガポール人の陳明徳、新婦は日本人の磯部和以だそうです。

どうも明治までは、結婚式そのものが一般化されていませんでした。開国と共にキリスト教文化が入って来た結果、結婚式が増えたいったようです。明治・大正期と言えば、名だたるクリスチャンが生まれた時代ですから、この人たちの影響も大きかっただろうと思われます(内村鑑三、新渡戸稲造、新島襄、賀川豊彦、矢内原忠雄など)。ちなみに明治に婚姻法が制定され、側室の禁止、一夫一妻制が布かれました。とは言っても、一般的に昭和に入るまであまり守られてなかったようです。うーん🤔、今では想像し難い社会です…。

でもね。クリスチャンの夫婦は世間的にも貞節を守ったようです。おそらく、そういっことが社会的に影響を与えたのだと思います。例えば、〝敬虔(けいけん)〟という言葉は明治に生まれた言葉です。日本でキリスト教というと現代でもわりと崇高なイメージ?があるのは、当時の宣教師やクリスチャンたちの〝品格〟だったのだと作家の司馬遼太郎さんは述べています。

  • 新島襄と山本八重の結婚  1876年(明治9年)

13日、新島襄(32歳)が山本八重(30歳)と結婚。襄は洋装のフロックコート、八重はウェディングドレス&ハイヒール着用。凄すぎて笑えます。世間的には相当な衝撃だったでしょうね。江戸の余韻が残るこの時代に、斬新過ぎです。でも、私も結婚式はこんな〝楽しさ〟があって全然いいと思います。内容は質素で、40人程度の小規模なものだったようです。

  • 小原十三司(とざし)と徳川鈴子の結婚  1916年(大正5年)

大久保の淀橋教会にて、中田重治の司式の下で挙行。この挙式を目撃したいと朝から人々が詰め寄り、会堂の外にも人だかりができたのだとか。それもそのはずで、小原は岩手県土沢の居酒屋の息子、かたや鈴子は徳川家の家柄。この二人が結婚するというのですから、キリスト教会内はもちろん、世間一般も驚いたようです。

二人の結婚の話が芽生えた時、当然徳川家は当惑したようです。小原は牧師でした。当時鈴子は結核を患っており、命が幾ばくかと言う中、徳川家も同意しないわけにはいかなかったらしいです。そこで離れ業を行い、一旦、親族の菅野家に養女に出した上で、結婚を同意したようです。後の小原の話が残っています。「かあ様(小原は妻のことをよくこう呼んでいた)と結婚した時、翌日は葬式を出さねばならないことも覚悟の上で、結婚した。それほど、かあ様は弱かった」と。…当時の人の純朴というか、こういうのが日本人らしいなぁと思わせられました。

こんな感じで少しずつキリスト教結婚式が増えていきました。