私見です。

私は長年使ってきたので、新共同訳が慣れています。また、全体的に訳が正確かなと思います。

しかし、ヘブライ12:2のようなケースがあるとやはり大問題ですね😅。

新改訳は、意味がわかりやすいです。言葉遣いがよいと思います。

なによりイエス様の言葉遣いが話し言葉で、イエス様の優しさが伝わってきます。

新共同訳はイエス様が「◯◯◯である」という表現を使っていますが、これはないな〜と思うのです。言ってしまえば、宗教っぽい(重要。宗教になりさがることを避けなければ、、、)。

イエス様が目の前にいて、である調で話すなんておかしいと思います。

そこは、「◯◯◯です」。が自然だと思います。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。ヨハネ14:6 〈新改訳〉
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。ヨハネ14:6 〈新共同訳〉

どうでしょう。

すべて疲れた、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。 マタイ11:28〜30 〈新改訳〉
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。 マタイ11:28〜30 〈新共同訳〉

どう思われますか?

親しみやすいのはどちらでしょう。

新共同訳は公文書。

新改訳は民衆。、、、私はこんなイメージです。

結論

私は新共同訳と新改訳どちらももつべきだと思います。基本の紙の聖書があれば、もう片方はアプリでもまかなえますよね。もし私が今、クリスチャンになったとすれば、新改訳を選ぶでしょうね。

〔個人的には将来的には正確な新改訳がベストだと思うのです〕

訳を比べてみることは必要です。(できれば詳訳聖書もあればなおよいですね)。、、、

でも、なにより大切なことは、聖霊に聖書を解き明かしていただくことです。

そうすれば、新共同訳でも新改訳でもみことばが生きて自分を照らします。説教準備する牧師(信徒でも)はこの意味が分かると思います。神様に祈って祈って真意を求めると与えられると思います。

レーマが語られることです。〝いのち〟を与えるのは文字ではなく、霊なのです。

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。ヨハネ6:63 〈新改訳〉

(david)