イエス・キリストを信じれば、うまくいく人生を歩めるとは限らない(*誤解しないでね)

うまくいく(この場合、この世的に幸せだなぁと思う人生)そうである人もいるだろうし、そうではない人もいる

イエス様はむしろ信仰者には迫害が来ると教えられた、一方でキリストにある豊かさをも教えられた。

 

ふと、エレミヤを思い浮かべた

彼は神の器であり、聖霊に導かれた。そしてたくさん嘆き、苦しみ、哀しんだ。彼は人々のために祈り、とりなした。彼の歩んだ人生の時間は喜びや楽しみよりもきっと、そういったことが多かったのだろう。

 

ヨブはどうだろう

神の器だった。聖霊に導かれた人だったが、ひと時とはいえ、無慈悲な時期があった。

長いキリスト教の歴史において、世界各国において、神の器であり聖霊に導かれた人であったが、エレミヤのような、ヨブのような人生を歩んだ人が無数にいたといえる。もちろん現代でも無数に…。

一方でダビデのような人生、ヤコブや、あるいは使徒パウロのような人生もある。みんなそれぞれであり、実に多様だと言える。

話を戻す

イエス・キリストを信じて生きる人生、聖霊に導かれたとしても、うまく人生⁉︎とは限らない。人それぞれだと言えるところがある。

 

でも、どうだろうか。

エレミヤもヨブも、ダビデも、パウロもフィリポも…。すべての人はキリストの体をなしている。

身の周りにいろいろな人(この場合クリスチャンを指す)がいる。

みんなキリストの体なのだ。

うまくいく人もそうではない人も、実に多様なのだ。このすべての人を同じように包み込む神の視点で「教会(キリストのからだ」を考えられないだろうか。

 

神様がソロモンにお与えになった「海のように広い心」

そんな視点と心をもったクリスチャンが教会形成してほしいなと思いました。

ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。《Ⅰコリント3:21〜23》

神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。

《列王紀第一4:29 》      聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会