ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。 《ローマ10:14〜15》

もうひとつ、人にほとんど言ったことがない話があります。
思い出しては、ふと忘れ、またある時思いだすのです(そして、また忘れます…)。

しかし改めて書き記そう
中学1年生の頃の出来事。不思議にも鮮明に覚えてることから、やはり聖霊の働きがあったのだと、クリスチャンになってから深く回想した。

―ある若いイギリス人の青年のこと―
彼は福島県二本松市の田舎にある私の通う中学校に教育実習生として来日しました。
私の通う中学校滞在は3日程だったでしょうか。彼はわざわざイギリスから英語を教えに来たわけです。

彼は身長は低くもなく高くもなかった。がっちりしていた。髪はブロンドと茶色の混ざり、長くはなかった。
22歳程でたしか自分は大学生だと話していた記憶がある。
私のクラスに英語教師と一緒に彼が現れた時には、クラス全員が興味津々だった。西洋の人が大変珍しかったからだ。
英語教師の通訳を介して、彼は自己紹介をはじめた。
イギリスの歴史について話しはじめ、海戦について言及しはじめた。
自分の先祖は大変有名な人だと言い、クラスのみんなにぜひ当ててほしいと、クイズを出した。
しかし、誰も答えられなかったので、彼はやや驚き笑っていた。
彼は先祖に尊敬心を抱きながら話しはじめた。
彼が言うには、自分の先祖は〝トラファルガーの戦い〟に参加して、大戦を指揮をしたのだという。その指揮官の名は〝ネルソン〟であり、自分はその直系の子孫なのだと言う。

トラファルガーとかネルソンとか、聞いたことがある人もいたようだったが、ほとんど知らなかったので、それが微妙な笑いを誘った。とにかくすごいなというのはみんなわかった。

しかし、彼は気をとり直して、こう話しはじめた。
「私はイギリスから英語を教えるために日本に来ました。しかも、できるだけ田舎に行きたかったのです。イギリス人が誰も行ったことのない地域に―そこがみなさんのところでした(みんな笑った)―
「しかしイギリス人がもう一人だけいたのです。その一人は、同じ教育実習カリキュラムで一緒に来たイギリス人でした。彼は今、二本松市第一中学校にいます。来週この学校に来るでしょう(みんな笑った)
―こんな展開でした―

ここまでは普通の展開でした。

青年、「もう少し話してもいいですか」
英語教師、「どうぞ」
「実は私は、日本に来た目的は英語を教えるためよりも、もっと大切なことがあるのです。私はイエス・キリストを信じています。クリスチャンです。(記憶では先祖もクリスチャンだったと言っていた、私はおそらく生まれて初めて〝クリスチャン〟という言葉を聞いた)。
―私はイエス・キリストをみなさんに伝えるために来たのです―」

その時、その授業を担当している日本人の先生が通訳していました。
そしたら、3分ぐらいから通訳の先生と彼が2人でもめ始めたのです。
「宗教の話はだめだ」と日本人の先生は言いました。
彼は非常に残念そうにしていました。
しかし、〝許される範囲〟という条件で通訳してもらい、彼が話しはじめました。
「私は、イエス・キリストを皆さんに伝えに来たのです。それが日本に来た目的です。
みなさんに神様について伝えられないのが本当に残念です。しかし、私は皆さんの祝福を心から祈っています。
皆さんが将来、イエス・キリストを信じることができますように。
私は心から祈っています…」
ネルソンさんはそんなことを3分ぐらい話しました。とても真剣でした。

私たちはその時中学1年で、外国人が話してくれるだけで嬉しかったような雰囲気がありました。そして拍手しました。
授業終了後、教室脇の廊下で通訳の先生と彼が2人で立ち止まって話し合っていました。
日本人の先生が注意していたようでした。
私はなんとなく気になって、その光景を後ろから見ていました。
それを今でもよく覚えているのです。

…あれから、数年後、私はクリスチャンになりました。
その後、ある時、はっとこの出来事を思い出したのです。この回想ができたこと自体、奇跡だと思いました。思い出すと、記憶が呼び起こされました。

「ネルソンさん、あなたに感謝します。あなたは神によって遣わされた方だった」

「まさかあの時、あなたが話していた田舎の学生がクリスチャンになるなんて、考えられないことだと思います。あなたの真の神への献身、勇気は確かに実を結んでいます」

―いつかネルソンさんに会える時が来るだろうか―
彼はあの教育実習の出来事をおそらく忘れていないだろうと思います。
もし会えたら感謝したい。

〜その数年後、私が救われて、あのイギリス人と同じように、キリストを伝えるために教育実習生として母校の聖光学院高校に遣わされるのだから〜
これを思うと、神のドラマの素晴らしさをしみじみと思う。あのイギリス人の青年に深く感謝したい。

もしも、どなたか
―イギリス人のあの青年に―
ネルソン提督の子孫に連絡できる方がいるならば、ぜひお知らせしてほしい。おそらく今は50代後半だろうか…

あの二本松市立第二中学校にいた一人の男の子がクリスチャンになったことを。
しかも、その男の子は伝道者として献身して、多くの日本の若者に福音を伝えてきたことを。さらに、その若者の中から福音を伝える伝道者が起こされていることを。
その男の子は、いつまでもあなたの姿を心に刻み、今もなお感謝していることを…

兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。《Ⅰテサロニケ2:1〜4》