証し

救いのきっかけを思うー私に聖書を教えてくださった方ー

私は家族にも親戚にも友だち関係にも全くクリスチャンがいなかった。聖書の土台が全くなかった私になぜ信仰が芽生え、主イエス・キリストを信じ救われるに至ったのか、改めて年末に振り返った。

過去の証しにも記載したが、
福島県聖光学院高校において、小野先生と三本松先生との出会いは極めて大きかった。
まさしく私は〝御言葉の種〟を蒔かれたー。

三本松先生については過去数回にわたり記載した。
神の不思議な導きにより、昨年の12月の劇的な再会以来毎週お会いしている。一言では言い切れない不思議な導きの流れに中にある。

私は確信している。
三本松先生以外にあと2人のクリスチャンが私の救いに多大な影響を与えたと思っている。

2人目の人物
―小野先生―

聖光学院高校の一年時に小野先生から聖書の授業を受けた。小野先生は女性である。
名前の方はすっかり忘れてしまった。しかし、あの華奢なスタイル、髪型、笑顔、それらは20年経った今も忘れることはない。40歳手前で独身だっただろうかー

かなり語弊があると思うが、小野先生は霊的な強さを持つ方ではなかった。
いわゆる典型的な日基の方だ。どちらかというと物静かで身体も弱かった。大声を出して怒鳴ったり、不愉快さを感情に表すことなどついぞなかったし、全くもってそんなイメージとは真逆の方だった。
―柔和だった―

この普通の女性には、非常に優れた点があった。
彼女はイエス・キリストが神だと言う前提で聖書の授業をしてくださった
―極めて重要なことである―
性格はやや天然なところがあったように思う。重複するが穏やかで気性の荒さというものがなかった。ある時、一部の男子グループが授業中に小野先生に大変無礼なことをした。先生は赤面し泣きかけたこともあった。しかし、そういう時にも先生は気を取り直し生徒を乱暴に扱うことなく、持ち前のやんわりとした物腰で授業を進めた。いつも笑顔だった。

先生は授業中に時に核心に迫る質問をしたものだった。
「◯◯くん、神様っていると思う?」
「イエス様は世界を造られた本当の神様なんですよ」
「……こんなふうに信じればいいんですよ」
「……イエス様の御名によってお祈りします。アーメン」

思い出せば、毎回授業を始める前にみんなの前で神を見上げて声を出して祈っていた。
みんなそれを聞いていた。それが日常だった。

相当に語弊があるが小野先生は聖霊に満ち満ちてはいなかった。
しかしながら、彼女は疑いようもなく〝イエス様は真の神様である〟という情報を生徒に発信していた。

彼女は間違いなく〝聖書〟を教えたのだ。
小野先生は神の側に立ち、〝種蒔き〟をされた。

この方が私の救いに一役買ったことは疑いようもない。

小野先生、ありがとうございました。

主イエス・キリストの御名により、勇気と信仰心を惜しみなく表してくださった小野先生に私は今もなお深く感謝する

イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。《マタイ13:3》

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」《ローマ10:14〜15》