今年のクリスマス
三本松先生にゴスペルライブに誘われて行って来ました。
朝に誘われて、仕事が終わって合流。
こちらは高円寺で行われたカリスマ派の集会「こころごすぺる」
ここでも教派・教団の違いや特徴を知ることが出来ました。
その後、2人でラーメンを食べ、珈琲を飲んで話し込みました。
いわゆるキリスト教会の裏側の話…。(裏側というとよくないですね、まさに現実の話)
数十年この世界で中核でやってきたからこそ言える話。先生と私は本心、本音で語りあえる…。
時間を越えてこうやってキリスト教会の現実を話せることに、不思議な感じがする。
私は思ったのです。
遡ること10日程前。
サイゼリヤで4人で話し込んだ時、偶然この言葉が譲治さんから出た。
「…要するに、必要なのは〝リバイバル〟ではなく〝宗教改革〟なんだ」と。
聞いた瞬間、まさにそれだ!と思いました。それが現代日本の総体的な答えなんだと。
この話については、広くそしてあまりに深い。
クリスマス。
今年も過ぎていった。
いつも通り仕送りして、未来への言葉を録音した。
そして、Twitterで最近、風俗の方や全然クリスチャンではない人もなんとなく仲良くなった。
もしも私が教会にとどまっていたら、こんなことはしなかっただろうなぁと思う。
しかし、思うのです。
イエス様って、罪人と一緒にいたんですよね。彼らに愛を示した…(もちろん弟子を大切にしながら)。本来、イエス様が接した人々って世にいう罪人が多かった。
しかし、現代では、そんな人々と教会にはだいぶ距離がうまれてしまった。
そんな人々にもイエス様の愛が伝わり、一人でも多くの人が救われてほしいなって思いました。
では、この時代の人々は、何にたとえたらよいでしょう。何に似ているでしょう。市場にすわって、互いに呼びかけながら、こう言っている子どもたちに似ています。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、泣かなかった。』というわけは、バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている。』とあなたがたは言うし、人の子が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言うのです。だが、知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します。《ルカ7:31〜35》