先日、本当に苦しかった時、悲しかった時、
夜に3人のキリストにある友人が駆けつけてくれた。どんなに服を着ても温まれない感覚と死の想いが迫る。…久しぶりに感じた。
・令和版ふうてんの寅さん
・燃えすぎているリバイバル兄弟
・superセレブのマグダラのマリア
心で泣いた。
とらさんは、予定をキャンセルして職場の最寄り駅まで来てくれた。
死の悲しみを共有してくれた。彼は私の過去をよく知る人。〜それだけで話せる人がいるのは有り難いことだと思う。
過去を語り、未来を語った。
私には分かる。
狭い意味でも広い意味でも私が生きるには、燃え続けることしか道がないことを…。
燃えなければ、私はどの道、死しかない。
社会的にも信仰的にも、あらゆる意味で死しかない。
燃え続けることは、大変難しい。
その火自体、神からしかこない。火のようなものでは、力はない。
本当の神からの火、それしか私は自分を生かせないし、人々も真に生かせない。
今でもそれなりのことはできるんです。でも、それじゃ、じり貧なんです。そして死なのです。
夜、4人で集まる前に、私ととらさんでファミレスに行った。
彼は何を思ったか順番待ちの欄にこう書いた。
〝フリーザ〟って。
「えっ!?この場合どっちがフリーザなの?」「どちらかというと私は悟空かな」
…やがて呼ばれた。
ウェイター「4名様でお越しのフリーザ様!」(←このウェイター、good job)
周りの人は笑っていた。
会計は53万ではなかった。
終わり。