木曜日の朝になりました。緊張感があります。二本松駅〜伊達駅迄の約一時間の車内で、聖書を開きみことばを読みました。メッセージの流れのイメージをしました。マルコ福音書の聖霊が語ってくださる箇所にも何度か目を通しました。

伊達駅に着きました。まず、工業科校舎にあるメイン礼拝堂へと私は入っていきました。そして、案内されて檀上にあがりパイプ椅子に座りました。その日の週報をみました。私の名前があります。続々と学生が入ってきました。もう逃げられません。教職員や生徒からするといつもと変わらない日常風景です。しかし、私にとってはまさに「この日」、「この時」なのです。
檀上の私の向こう側に、校長や教頭も三人ほどが座っていました。
私は腹をくくりました。恐れるな、恐れるなと自分に言い聞かせました。
そして、一度短く祈りました。

…まだ時間がありました。生徒たちが礼拝堂にどんどん入ってきています。
そして、もう一度両手を合わせて心から祈りました。
焦らずに心落ち着かせて、自分の意思で、自分の言葉でゆっくりと、正直にこれまで歩んできた人生を振り返りながら祈ったのです。
「私は今日、あなたを伝えます。私は〝社会〟を教えに来たのではありません。この時のために心を備えてきました。あのようなに私は弱い者でした。登校拒否もし、受験に落ちましたが、この聖光学院に入学したのです。以前はあなたを知りませんでしたが、あの高田橋の上であなたを信じ救われたのです。

しかし、私はあなたに救われたにも関わらず、その後チャンスがあったにも関わらず、教会に3年も行かず、むなしい時期を過ごしました。しかし、今はヨハン早稲田キリスト教会で洗礼も受け、最近は奉仕者にも任命されました。

今はあの頃とは違います。今はあなたを知っているのです。
あの弱かった者、いじめられっ子がこうして大勢の前で今あなたを伝えようとしています。
私はただイエス・キリストを伝えます。
主よ感謝します。失敗してもいいです。
そのために私はここまで来たのです。聖霊が語ってくださることを信じます。
お委ねします。…私は悔い改めと感謝の祈りをしました。

その時です。音楽担当の鈴木恵子先生が講壇に上がり、ピアノを弾き始めました。それは、激しい曲調でした。恵子先生はカトリックの信徒です。

すると、私は聖霊に満たされたのです。頭上に天が開いているような感覚があり、滝のように霊の水が上から大量に流れてくる感覚がありました。私は思わず上を見上げました。〝ここ〟とは言えないのですが、明らかに天が開いて大量の霊の水が流れて落ちてきたのです。
私は言いようもない力に満ち溢れました。
それは満ち溢れる現実的な力でした。ものすごい確信でした。
私はこうべを垂れて言いました。

「主よ、これならできます」
「主よ、感謝します」

私は向こう側にいる校長先生と教頭先生を見ました。
「これを感じていますか」と言いたかったです。
やがて私が紹介されて、私の説教の時になりました。私は恐れずに大胆に行きました。出だしはこんなくだりでした。
「聖書は聖なる書物と呼ばれていますが、その中身は聖なるとは言えません。
人間のあらゆる罪が書いてあります。戦争があり、嘘があり、盗みがあり、殺人、近親相姦まであります。聖書には人類の罪がはっきりと書いてあるのです…。

そして、キリストの愛について、十字架について話しました。
「信じないものではなく信じるものになりなさい」

「見ないで信じる者は幸いです」
3つか4つ程、暗記していた御言葉を引用しました。
その言葉に異常な力があったことを覚えています。
ですが、滑舌が悪い私は何度か完全にどもってしまいました。
とにかく私はキリストを信じるように、神としてのキリストを説教しました。
そして10分程のメッセージが終わりました。

メッセージは誰が担当しても必ず祈りで締めくくります。

私はここも大胆にいきました。
このように祈りました。
「私は今日、御言葉の種を蒔きました。みんながイエス・キリストを信じるように蒔きました。
…どうか、この人々の中からこの国を揺り動かす者を起こしてください」と。
こんな内容でした。
最後のフレーズはよく覚えています。後で振り返りましたが、よくあんな内容のことを祈ったなと、思いました。
この出来事は後にも先にもない最高の時間でした。

余談
※私は木曜日の説教が決まって以来、毎日、伊達駅から聖光学院の普通科校舎に行く10分ほどの砂利道をひとりで絶叫しながら祈っていました。「サタンよ出ていけ。お前と戦うぞ。ミカエル天使長、ガブリエル天使長も助けてください」「聖霊で満たしてください」みたいな祈りでした。もちろん周りに誰もいないことを確認して。

※後に思ったものです。生徒たちの中に骨折した人がいました。もしもあの時、「主の御前癒されよ」と言ったら癒されたはずだと。それほどの、圧倒的な力が私に注がれていました。

今、楽を奏する者を連れて来なさい。」楽を奏する者が演奏をすると、主の御手がエリシャに臨み…        《列王記下3:15》