実習1周目のある午前中、多田裕志教頭に4人の実習生が呼ばれました。
どうやら話の目的は献血の勧めでした。本日、献血の時間があるとのことで、ぜひにということでした。

さらに多田教頭は私に向かって
「あなたの実習録を見たのだが、あなたはクリスチャンか?」
私「はい、そうです」(来たな)
多田教頭「そうか!それなら説教やってみるか」
私「はい、やります」
多田教頭「本当か」
3人の実習生「まじですか?(笑)」
多田教頭「やってみるのもいいだろう。では、いつがいいか。来週の木曜日はどうか」
私「わかりました」。ついに来たと思いました。これが今回の実習の最大の御心だと私は思
いました。

毎晩、私は外に出てひとりで祈りました。5分程でしょうか。
私の実家は山に囲まれたど田舎です。電灯もなく、人気も全くありません。
短い時間ですが、ひざまずいて木曜日の説教のため祈りました。とても不安でした。
毎日実習準備で時間もないし、正直言って祈っている時間がもったいなく思いました。
緊張と不安で長く祈れませんでした。部屋で授業準備の途中に何度も聖書を開きました。何か自分を励ましてくれる聖書箇所を見つけようとしました。これだ!っと思いました。

引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。《マルコにより福音書13:11》

もっともこのみことばは、命の危険にある特定の状況下でのことばです。
はたしてこのみことばの選択は合っているのか、確信は全くありませんでした。
しかし、私は毎日「これを信じます。このみことばを信じます」みたいなことを何度も言っていました。今思うとむちゃくちゃです。

ついに前日、水曜日の夜になりました。かなり忙しいです。木曜日の授業原稿つくりも終わっていません。「何も準備しなくてよい。聖霊が話してくださる」という聖書のみことばを信じていましたが、相当に不安でした。翌日の説教を準備しようと思い紙を用意してペンを走らせました。まず自己紹介から書こうと思いました。しかし、5分程で辞めてしまいました。私はようやくわかったのです。とてつもなく時間がかかるということを…。私はそれまで説教をしたことがなかったし、そもそも人前で長時間話すことすら初めてだったのですから、それがどれほど大変なことなのか今わかったのです…。恐ろしくなりました。時間もないし、もはや話す内容を書くことは不可能だということに気がつきました。
ただ説教のタイトルは〝キリストの十字架〟であること、説教箇所はヨハネの黙示録3:20であることは前もって学校側に伝えていました。私立高校の礼拝で黙示録引用なんて、自分でも笑ってしまいました。

(※毎朝の礼拝毎に、全校生徒に1枚ずつプリントが配布されます。そこに礼拝の内容や、前日の出席人数やその日の連絡事項等が記されてあります)。

私はキリストの十字架、すなわちイエス・キリストが真の神であり、私たちの罪のために死なれたこと、そして復活したことを話そう、要するに〝本気で伝道しよう!〟それだけでした。

…もはや時間がないことだけは確かでしたが、説教の流れを少しずつイメージしてみました。しかし、ほとんどできなませんでした。机に向かって、少し祈って、ゆだねました。そして、明日の実習案を書き始めました。寝不足でもあり、寝たのです。きっと主がなんとかしてくださるだろうと思いつつ。

引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。     《マルコ13:11》
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。《ヨハネ黙示録3:20》
多田裕志教頭は後に校長になり、後に長野県の日本基督教団の牧師になられたようです。とても懐かしい。