祈り 証し

証し②ー愛猫チロルの帰還・愛犬ハッピーの死・おじいちゃんの癒しー

上の写真は「しろ」狩りのプロ猫  ネズミ、もぐら、野鳥。一度は孔雀🦚?も。

愛する猫チロルの失踪と帰還。
祖父の病気と快復。愛犬「ハッピー」の死。

佐々木弁護士に送った私の証し(当時は遺書と思って書いた)の一部、以下は高校と浪人時代の内容

あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。《マタイ6:6》

私の家は犬一匹と猫を三匹飼っていました。私の家族全員にとってペットは人生の一部でした。
犬は私が小学校二年生次から浪人まで、二匹の猫は中学一年の4月に確か母がもらってきました。
三匹目の猫は私が高校生の時に、犬と散歩中に、いつもの林道のつぶれた小さな工場の脇を通った時に、子猫の泣き声を聴いて見つけたのです。白い小さな子猫でした。片目が黄色、片目が青で、しばらくしてわかったのですが青い目だけに視力がありました。
あの林道はほとんど人が通らない道です。私は急いで犬を家に置いて、子猫を拾いにいきました。
子猫は人懐っこくて、私に近寄ってきました。家に抱いて帰りました。不思議ととても嫌な臭いがしていました。捨て猫だから臭いのかと思いましたが、よくみると頭にかなり大きな膿がたまっていることがわかりました。祖父母の部屋の先に、日当たりの良いもう一つの部屋がありました。そこに猫をもっていくと、部屋中が膿の臭いでいっぱいになりました。それは一週間ほど続きました。母も毎日よく診てくれました。
とても人懐っこく、人間みたいに表情豊かで面白い子猫で、泣き声も聴いたことのないかわいいこえでした。私は「チロル」と名付けました。雌です。
この猫が大好きで大好きでたまりませんでした。しかし、高校三年次のある日に家の外から全く帰ってこなくなったのです。見えなくなってもだいたい翌日には家にいます。私の家は小高い山の上にあります。辺りは山と林で裏山は2キロくらい森が続いています。私と祖母が何軒か近所に電話してみましたが見つかりませんでした。一週間ほどたったと思います。家族はみんなあきらめ気味でした。
その間、私は学校から帰るといつもの散歩道を一人で泣きながら探しました。その時、私は神様に祈りました。「どうか見つけてください」「無事に戻ってくるようにしてください」藁にも縋る思いで、イエス様の名前も呼んだと思います。
学校から戻る帰るたびに祖母に今日見つかったかどうか尋ねました。
祖母は私の心に誰よりも近くにいたと思います。私が学校に行っている時も毎日探してくれました。一週間程たち私も諦めの気持ちがありました。もう死んだかもしれない。身体が弱い猫でもあったし最初の猫のように狩りもできません。山の中では生きられないこともわかっていました。
しかし、一週間ほどたったころ、学校から帰ってきたとき、祖母が「チロルが見つかって帰ってきたよ」と言いました。信じられませんでした。どう猫を抱きしめたか今は覚えていません。しかし、相当に喜びました。神様が見つけてくださったかもしれないと思いました。
祖母に猫がどこにいたのか聞きました。なんとあの険しい山を越えて約二キロ先の民家にいたそうです。そこまで祖母は探しに行ってくれたのです。「白い小さな子猫知りませんか」と尋ねたら「二三日前からいるよ」という返事があったそうです。そして、祖母はチロルを連れて帰ってきたのだそうです。
そこまでこの弱い猫が無事に行ったことにも驚きましたが、またそこまで探しに行ってくれた祖母にもありがたかったです。祖母でなければ、どうしてここまでするでしょうか。
時間があるというのもあると思います。でも一番は猫が好きというよりも、私のためなら何でもする、その愛が一番大きいのです。祖母は本当に私を自分以上に愛していたと思います。
祖母は私の人生において多大な影響を与えた方、愛を教えてくれた方です。
大学三年次に教会に行きながらも、果たして私は祖母以上にイエス様を愛することができるのかという疑問をもっていました。・・・その後、クリスチャンの証しではあよくあると思いますが、私は主の愛を知り、イエス様を愛するようになった結果、以前より祖母を愛するようになりました。

暗い浪人時代。
あれは確か私が主と出会った後のことです。祖父の体調が悪くなりました。80を超えていましたが、祖父は大変頑丈な方でした。毎朝のラジオ体操、犬との約二キロの散歩、そのほか盆栽、畑仕事、自転車の運転、なんでも不自由なくこなしていました。昔剣道の選手でした。祖父の実家は大玉村にあり、高校生の頃は、毎朝相当早く起きて、安達高校まで何十キロと歩いて通ったそうです。祖父は太ってもいなく、筋肉もありとにかく健康でした。
しかし、その祖父が口の奥が痛いらしく、郡山の病院にかかるようになりました。祖父は痛そうにしていました。
私は直感で不安になりました。これはいよいよもしかするともしかするかもしれない。
しかし、まだ家族で死を経験した人がいなかったので、死は現実のものに感じませんでした。
そうこうしているうちに、どうも医者にも原因が不明であり、ますます悪くなっていくようでした。祖母が付き添いで郡山に行ったり、祖父は入院もしました。駄目かもしれないという両親や祖母の話が私の耳に入りました。確かに祖父は弱っていったのです。私は誰かのために祈ったことはまだなかったと思います。主を探すために自分のためにはいのりました。
いまでもはっきり覚えています。私は自分の部屋の前の小さなスペースに隠れて、跪いて主に祈りました。「どうか、祖父を助けてください。祈りを聞いてください。私の愛する愛する大切なおじいちゃんです。神様知っているでしょ。いま本当に危ないかもしれないのです。死なないようにしてください。どうか神様、助けてください」と。少し泣いてしまいました。
(書いていて思うのは、私は祈りでよく泣いたということです)

数日後のことです。私は茶の間にいて、確か初めは私の両親の会話が縁側から聞こえてきて、おじいちゃんの様態がよくなりそうだということでした。新しい病院で入院中とのことでした。
後で祖母が言った内容はこのようなものでした。今日、郡山からタクシーで病院に行く途中で渋滞になってしまった。どうにも道がこんでしまい困っていると、なんとタクシーの運転手が、もっとよい病院をしっていてそのまま案内してくれたとのことでした。そして、いつもと違う病院に行ったこと。
「そして、おじいちゃんをみてもらったよ。そしたら、おじいちゃんの悪いところを検査してもらったら、違う原因がわかって、治るようだよ」と。
いまは少し入院するという話だったと思います。
私はかなり驚いたことを覚えています。心の中で「もしかして神様ですか?」と何度も言いました。
誰にも聞かれないように、口に出して「もしかして神様ですか?」「神様が答えてくれたんですか?」「本当ですか?」などと喜んで言いました。
たまたまだろうか。偶然だろうか。いや、きっと神様が答えてくださったに違いない。そう信じるべきだと心を整理しました。どう考えても、祖父のこの病院の変更や、タイミングがうまく行き過ぎていたのです。みんなは知らないが、私だけは知っている。神様が私の祈りに答えてくださった。そして、「神様、感謝します。ありがとうございます」と祈りました。
・・・これはおそらく主を信じた後に初めてとりなしの祈りをしたことになります。
こう振り返ってみると、主は私の信仰がなくならないように、主を思い出し、信仰が守られるようにしてくださったのだと思います。
大好きな祖父はそのごみごとに回復したのです。

冬になりかけていました。
愛犬のハッピーが非常に弱っていき、変に鳴いたり、おしっこを漏らしたり、様子がおかしくなりました。母が病院に何度か連れていきました、すると、もう駄目だとう結果でした。
信じられませんでしたが、ハッピーの様子をみると現実であることがわかりました。延命措置も可能だそうだが、親戚にいたハッピーの母犬も延命措置をして、苦しんで亡くなった前例があったため、母はやめたそうです。
しばらくして、犬は立てなくなりました。
私の部屋に置いたり、玄関に置いたりしました。
母はいいました。安楽死をさせる、と。驚きでしたが、苦しまないようにしたいとのことでした。家族全員がハッピーを愛していました。高齢の祖父も相当かかわいがっていました。散歩は日課でした。
私にとってもそうです。小学二年生の時、初めて犬が家に来た時をいまでも覚えています。
そして、私と一緒に成長しました。中学の浪人時代もハッピーがいて私はとても慰められました。ずいぶん、長い時間私の山あり谷ありの人生を見てきた犬です。
たくさんの思い出があります。
もちろん、ハッピーのために私は幾度となく祈りました。しかし、癒されはしませんでした。
獣医がきて、安楽死をする日がやってきました。私が立ち合いました。その日、獣医が来るまで私はイエス様にいのりました。大泣きでした。「神様、ハッピーを治してください。癒してください。どうしても無理なら天国でイエス様が引き取ってください。天使が連れて行ってください。そして、いつか私が死んだら必ずハッピーが私を迎えに来るようにしてください」何度も何度も心から祈りました。力を出して信じて祈りました。
午前中、獣医がきて、ハッピーの心臓に注射を打ちました。大きな鳴き声を出したかと思うと、ゆっくり動かなくなってしまいました。
ハッピーが亡くなりました。

翌日だったでしょうか。
私の家の庭には草木や簡単なごみを焼却できるレンガの囲いがありました。田舎なので周りに家はありません。そこに父がハッピーを抱いてのせました。父は「ハッピー」と言って泣きました。妹もいました。祖父母もいたと思います。たくさんの草木を使い、祭壇のようにして、ハッピーを火葬しました。火は勢いよく燃えました。

こんなことが浪人の頃にありました。私にとっては大きな出来事でした。しかし、あの小学生から今までの私の歩みを知っている犬で、お互い信頼関係みたいな友情のようなものを感じていたはずですから、その犬がいたことにとても感謝しています。
私はあの祈りを時々思い出します。
犬は回復しなかったですが、私の死ぬときには迎えにきてくれて、天国で会うことになるだろうと今も信じています。主はこの祈りに答えてくださる確信が私には昔も今も変わらずにあるのです。