〝聖霊のバプテスマ〟を扱う時、教派、教団によって解釈がやや異なる。

割と広く受け入れられていることは、〝イエス・キリストを信じた瞬間に聖霊によってバプテスマされた〟という考えだと思う。

キリストを信じること自体、100%神の恵みである。聖書が言っているように、私たちは自分の力で神を信じることはできない。聖霊の働きがあったので、人はクリスチャンになる。

『栄えに満ちた喜びー聖霊のバプテスマとは何かー(Joy unspeakable)』 D・M・ロイドジョンズ  1984       P23参照      パウロは言う。私たちがクリスチャンになったのは、聖霊が私たちの内側で働かれ、この啓発、知識、理解力、信じる力を与えてくださったからである。どのクリスチャンにも必然として聖霊が住んでおられる。これは聖書全体を通しての基本声明である。私たちに罪を悟らせ、啓発と信じる力を与えてくださるのは聖霊である。肉のままでは誰も福音を信じることはできない。これは聖書全体を貫く根本原理である。
ここで大切なことは、クリスチャンは誰であれ、その内に聖霊が内住しているこということです。
この意味をもって、〝私たちは既に聖霊のバプテスマを受けた〟と教えるキリスト教会も多い。
ですから、これが聖霊によるバプテスマとなる。
つまり、バプテスマは①水のバプテスマと②聖霊のバプテスマ
の2つである、と。
しかし、私はロイドジョンズと同じ立場で、それは違うと思っている。
私たちにはさらに優った聖霊のバプテスマがあることを聖書は教えている。
そういう意味で、私は、
①水のバプテスマ
②新生としての聖霊のバプテスマ
③力を受けるための聖霊のバプテスマ
の3つがあると思う。
②と③について
上記に同じ     P24〜25抜粋
新生は聖霊の御業なのだ。聖霊によるひそかな業である。体験的ではなく、ひそかな御業であり、その人にだけ自分に起きたことが分かるのだ。 …しかし、聖霊のバプテスマとは、それとは全く異なるものである。それは、キリストが私たちに聖霊によってバプテスマを授けることなのだ。新生し、聖霊が内住してクリスチャンになることと、聖霊のバプテスマが、明らかに異なる別ものであることを私は示したい。このように表現しよう。ーあなたが神の子どもであっても、聖霊のバプテスマを受けていないことがあり得るのだと。        
…難しい内容ですみません。
では、イエス様の弟子たちはいつ〝新生〟したのだろうか。
こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい」   ヨハネ20:22
弟子たちは、この時に聖霊を受けたと思われます。
しかし、やはり聖霊は降っていなかった。〝力〟を受けてはいませんでした。
ですから、復活されたイエス様はこう言われたのだと思います。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」使徒1:8
以上書いてみました。
ひとつだけ陥りやすい罠があると思います。それは
「自分は聖霊のバプテスマを受けていないのではないか」。つまり、私は神に愛されていないのではないか。…ダメな人なんだ。と思って、失望や疑いを持ってしまうことです。
…こう言ったことは悪魔の得意とする戦法ですね。
私の経験から言えることは、やはり聖霊を求める続けること。そして、自分に無理をせずにイエス様につながって生きていくことだと思います。仮に聖霊の力のバプテスマを受けていなくても、イエス様を証しして神に用いられていく人々をたくさん見てきましたし、そういったクリスチャンは多かったと思います。大切なことは、仮に聖霊の力のバプテスマがなくても、主を愛し、人を愛していくこの福音の道を最後まで生きることだと思うのです。