以下は私が2016年の初頭に書いたもの。

佐々木満男弁護士から「ぜひ証しを書いてください」とのことだった。

私は当時生ける屍であったが、書き続けた。出勤前と後、朝晩の電車の中で。

全部でA4用紙で100枚以上になった。ーその第1章ー

原本通り、実名を出す。いつか誰かが元気づけらるならいいでしょう。アーメン

兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。《ヨハネの黙示録12:11》

証し  國分 光平

私は、7人家族の家に育ちました。私は長男で、二人の妹がいます。
福島の二本松市の田舎で生まれ19年生活しました。

私はおばあちゃんとおじいちゃんが大好きでした。
父は職を転々とし、私が中学二年のときに郡山でお弁当屋をはじめました。
お母さんは手伝いたくなかったそうですが、仕方なく二人でお弁当屋をすることになりました。これは私が大学卒業後まで続きましたが、最後は倒産という形で終わりました。借金はもう返済しています。

私が大きくなるにつれて、家庭の問題は大きくなっていきました。
みんな仲が悪くなっていったのです。特に父との関係が悪くなっていきました。
それでも、何とか家族一緒に食事をしていましたし、最低限の秩序はあったとは思います。
今思うと、父や母の発言や行動により、とても自信感のない子供に育ちました。特に父からはあまり愛情を受けなかったと思います。その代り、祖父母からはたくさんの愛を受けたと思います。

小学生の頃から人一倍ともだちは多く、明るい子でした。しかし、私は中学二年生の時に登校拒否をしました。大きな傷となりました。
一般試験で県立高校に落ちました。まさかでした。当時の面接の試験管が、私になぜこのように欠席が多いのかと質問し、長い沈黙がありました。答えられなかったのです。それが響いたと思います。

家に帰り目の前が真っ暗になりました。
家の庭で「神様助けてください」と言いました。

翌日、中学にいき、担任の先生と話しました。5人くらいが高校に落ちて集まっていました。
二次募集の案内を見ました。1名、2名・・・、雲をつかむような話でした。
それでも、遠方にある聖光学院高校に普通科若干名という案内に希望を持ちました。
しかし、また私の内申書が影響して落ちると思いました。

隣の校長室にいた校長が私を一人だけ部屋に呼びました。
「國分くん、私はあなたが優しくてまじめな学生なことを知っている・・・」
こんな話でした。
「本当はいけないのだが、わたしがあなたの内申書を書き直しました。欠席日数は2、3日になっている。だから胸を張って試験に臨んでください」と鈴木校長は言ったのです。
信じられませんでした。
そして、私は聖光学院高校を受験しました。
キリスト教精神の高校です。面接官が「我が校では、毎日礼拝がありますが、参加できますか?」というものもありました。私の欠席のことも面接で聞かれませんでした。
そして、見事に普通科に合格しました。
嬉しかったです。

その後、三年間通いました。私は中学二年の時の勉強が抜けてしまったこともあり、勉強ができない人になっていました。また、勉強をしない人になっていました。する必要は感じていて、毎日、ほぼ全教科書をもって帰宅したのですが、結局毎日開かなかったのです。

一年生の時に、「聖書」という時間が週に一時間ありました。私は好きでした。
伊達にある日本キリスト教団に所属している小野先生という女性の先生が聖書を教えました。パウロの「回心」、主の祈りを教わった記憶があります。
その先生は翌年に体調が悪くなり辞めたと思います。
二年生になったとき、物理担当の三本松という先生がやってきました。その先生が一年間に3回くらい説教をしました。30歳くらいで「ハレルヤ」とギターを弾く先生で、かなりインパクトがありました。
私が二年生のある時に、三本松先生が、「神様が祈りに答えてくださる三つの答え」があるというものでした。「御心なら、はい。御心ではなく、欲から出たものなら、いいえ。
あなたにはもっとよいものがあるが、それには少し時が必要です。あるいは別なもっとよいものがあるから、ちょっと待ちなさい」というものでした。
そのメッセージには油注ぎがありました。感銘を受け、神様は確かに存在されるかもしれないという強烈なインパクトを受けました。教室に戻った時に、クラスの学生も、担任の先生も相当な霊的インパクトを受けたようで、「神様いるかもれないと思った」と言っていました。
その後時は流れました。あの時以上のことはありませんでした。

3年が終わり、私は受験にすべて落ちました。
家計のこともあったのですが、私は浪人することに決めました。
父は私が東京で新聞配達をして予備校に通うことを勧めました。父は一人で東京の新聞配達所も決めてきました。しかし、私はそれは不安で心から嫌がりました。
福島の比較的安い小さな予備校に通うことになりました。それでも、大学はお金がないからいけないかもと言われました。
私は中学の先生になりたいと思っていました。登校拒否もしたし、その子供たちの心が理解できると思ったからです。

聖光学院から予備校に行く人はまれでした。ほとんどは就職で、時々専門学校で、あとは推薦でキリスト教系の大学にいくというものでした。

予備校には知らない人ばかりで、行き帰り一言も話さない日がほとんどでした。
当時の代ゼミの「実況中継」を読み勉強し、学力は不思議と上がっていきました。

そんなくらい予備校生活でしたが、さらに辛いものにしたのは、家族の中がもっと悪くなっていったことでした。とくに、祖父母の生活様式の違いから、一緒に食卓を囲まなくなりました。それは私にとってショックでした。私は、自分のご飯をもって祖父母の部屋にいきそこでご飯を食べました。時々、そこで一緒に寝ました。
私は小さい頃からおばあちゃんが大好きでした。
(中学の時に「僕は明日死ぬ」と隣に寝ている祖母に話したときに、祖母は私の手を握り「死ぬな、死ぬなら私も一緒に死ぬ」と言ってくれました。私は気づかれないように泣きました。
死ぬのはやめようと思いました。・・・祖母とはこのような友情のようなことがたくさん思い出にあります)。

孤独な浪人生活でした。もし私が大学に行くとなれば、それは現実的に仙台か東京になります。私がいるときに、家族が仲良くなってほしいと願いました。少なくとも祖父母が幸せに暮らせる家庭にするという思いが湧き上がってきました。
そのために、私は母や妹とぶつかりました。
家族会議みたいなこともありました。私が家を飛び出たこともありました。

そんな生活の中で、「神様は本当にいるのだろうか?」という思いに囚われました。本気で探した人などいないのではないだろうか。では、私は本気で探そう、という結論にいたりました。覚えている〝主の祈り〟を告白し始めました。
毎日、大きな変化はなかったのですが、ぎりぎりの電車に乗れたり、不思議と学力が上がったり、生活の中で何かちょっとした変化が神様の存在感を現実的に実感するようになっていきました。確かに信仰が増していきました。

・・・話は飛ばします。
予備校に行く前のある朝です。私はまた母とぶつかりました。
「どうしてお母さんはおばあちゃんと仲良くできないのか」
「それはできない。あなたが大きくなったわかること」
「私が家族をなかよくできるようにしているのがわからないのか」
「私にはできない。無理だ」という返事が返ってきました。
私は怒りました。そんなときに二階から私の大声を聞いた父がやってきました。
「お前はまた大人を馬鹿にしているのか」
私はなんと返事したか今は覚えていません。
父は話の最後に、私の胸ぐらをつかみながら「俺は昔からお前のことが嫌いだったんだ」といいました。
私は大泣きしました。確かにそうだと思ったのと、父がついに言ったと思ったからです。
私も父の胸ぐらをつかみ返しました。
そこに私の泣き声を聞いた祖父母がやってきました。祖母は優しい声で「私のことで喧嘩しないでください。私たちはもう長くないし、大丈夫だから。もうやめてください」
そんな風に言いました。

私はもう今日は部屋に閉じこもろうとしましたが、父は「行って来い」と言いました。
結局私は、泣き叫びながら、いつもの二本松駅のある方向へ、阿武隈川にかかる高田橋へと向かって自転車を走らせました。

なぜ神様を信じたのにこうなってしまったのだろう。
私の友人だった鈴木くんは、神を信じないし、冗談だとしても自分中心に世の中は回っているとも言っていたし、大学も合格し、アルバイトもしていて、家族は仲もよい。

それなのに私は。
今までの時間は何だったのだろうかと思いました。
神様、どうしてですか。神様、どうしてですか。泣き叫びました。
神様を信じてきたが、すべてが台無しになり、こんな結果になったと思いました。

もう神様を信じるのをやめようかとの思いがやってきました。どうしよう。
こう思いました。神様を信じるのをやめたら今後も信じることはなくなるだろう。
しかし、いまここで信じることをやめないのであれば、今後も神様を信じることができるだろう、と。
これはとても短い数秒間のことでした。
そして、私はそれでも神様を信じよう、と思いました。
「私はそれでも神様を信じます。」その言葉に自分で感動もし、余計に泣けてきました。
しかし、次の瞬間、絶望が私を襲いました。

しかし、神様を信じてどうなるのだろう。今までも変わらなかったし、今後もまた同じ生活なのだろうか。神様を信じるといっても、神様って一体なんなんだろう。結局、神様のことが全くわからない。結局何も変わらないではないか。どうしよう。
信じたいのに・・・。
高田橋に差し掛かりました。自転車は長い坂道を下ってきました。
大泣きしていました。天候は気持ちの良い晴れでした。
高田橋は長い橋です。橋に差し掛かり上り始めました。
橋の下に阿武隈川が流れています。目の前に見えるのは、安達太良山です。そして自然が美しく見えました。そして、すぐわきを鳥が確か一羽、スズメかもしれませんが飛んでいきました。自然が美しくて、神様はいるという思いが湧き上がってきました。
偶然にこの世界が存在するわけはないと思いました。

次の瞬間、わたしはついに大声で叫びました。
「私はイエス・キリストを信じます」
「あなたが神様だったんですね。ずっと私のこと見ていてくれたんですね。」
その時、私の背後にイエス・キリストがおられることを存在を確信しました。
そして、私の体は異常に熱くなって燃えているような感覚になりました。
(私はこういいました。イエス・キリストなんですね。あなたが神様だったんですね。私はつい調子にのってしまい、あなたがイエスさんなんですね。と言いました。
心に責めがやってきて、すみません。ごめんなさい。といいました。)
天使が両隣にいるのがわかりました。「あなたが天使君なんですね。嬉しいです」。特に左側にいた天使からものすごい力を感じました。(しかし、天使は目には見えませんでした。)
身体が燃えるように熱いので、「イエス様、これはいったい何なんですか」といいました。
瞬間、高校の時に、何かの集会の最後によく歌った讃美歌が思い出され、直感的に分かりました。「天地こぞりて、かしこみ、たたえよ。御恵みあふるる、父、御子、御霊を」
これは聖霊だと知りました。そして、神様の名前は「主」だということが直感的に確信となって私の頭にやってきました。
「やったー、嬉しいです」私は言いました。「これが聖霊なんですね」。高田橋を下り始めていました。その時、私は「私には希望がないんです。どう生きていいかわかりません。どうか神様、私に希望をください、希望がないんです。希望をください」と安達太良山を見ながら泣き叫びました。これは私にとって全く予期していない言葉でした。しかし、本当にそうだという実感が心と一致しました。
力が溢れて熱いので、ドラゴンボールの孫悟空のようになったと思いました。「はあああー」と言って坂を下っていきました。

諸人こぞりての賛美を歌ってみました。ほかにもう一曲か二曲、知っていた賛美のフレーズを歌ってみました。(諸人こぞりての一番と二番くらいを知っている歌詞で歌いました。その記憶があります)。
そして、目を真っ赤に腫らせながら電車に乗りました。私は普通に予備校に行きました。

家に帰ってきました。一体今日の出来事は何だったのだろう、母に言ってみようかとおもいましたが、やめてしまいました。
不思議な印象だけがつよく残っていました。
部屋に入って少し祈ってみようとおもいました。
跪いて、軽い気持ちで簡単に祈ろうと思いました。
すると不思議なことに涙が出てきて、声もだして一生懸命祈りました。すぐに悔い改めの祈りになり、私の生涯で今のところ、最初で最後かもしれませんが、頭の中に映像がきました。それは中学生の時の道徳の授業でした。

担任の本間先生が、「この中で罪を犯したことがあると思う人は手を挙げてください。」とみんなにいいました、すると全員が手を挙げたのですが、私は挙げなかったのです。友達がお前、罪を犯したことがないのかよ、嘘つけ、というようなことを私にいったのですが、私は「いや俺は悪いことしていないよ」というような返事をしたのです。それは、確かに過去に実際にあった授業風景でした。それを主は思い出させたのです。私の心にものすごい責めがやってきました。ずっと私はよい人、正しい人という思いがありました。
しかし、それは神様の領域です。その思いは私が神様と同じ立場になっているということを示されました。大きな責めが心にやってきて、この罪は殺人よりも重い罪だということが直感的に分かりました。その感覚は神様が教えてくれた真理だと思います。
そして、ごめんさないという風に、涙を流して悔い改めたのです。
そしたら、とてもすっきりしました。これはいったい何なんだろうと思いました。

そして部屋をでて茶の間に行きました。

これが私と主との最初の出会いです。

神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので…ローマ1:20
イエスは言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」ヨハネ11:40
私は度々この出来事を思い出した。
この力がなければ私はとうの昔に死んでいたに違いない。