新共同訳聖書の修正案

主に新共同訳聖書の修正箇所を記載し、詳訳聖書(ギリシャ語から直訳)を元に修正する。

翻訳が間違っていると、全く違った解釈が導き出され、真理が曇ってしまうからね。

実際、とんでもない意味になってしまう。どうか読者がみことばの光に照らされますように。

参考  《詳訳聖書昭和37年 いのちのことば社

ヘブライ人への手紙12:2

信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。 

〔私たちの心を散らすいっさいのものから信仰の最初の動機を与えられた〕私たちの信仰の導き手〈源〉であり、また〔信仰を円熟と完成に導く〕完成者であるイエスを仰ぎ見ながら〔走ろうではありませんか〕。彼はご自分の前に置かれた〔賞を得るという〕喜びのために、恥をもいとわず〈無視して〉、十字架を忍び、今は神のみ座の右に座しておられるのです。
Ⅰコリント10:13

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

なぜなら、あなたがたを襲った〈捕えた〉誘惑、〈すなわち、〔どのようにして生じ、またどんな結果に至らせるにしても〕罪に誘うものとしてみられた試練〉は、人間にとって普通でないようなものは、一つもないからです。〈すなわち人間の抵抗する力以上のもので、人間の経験に調整されない、適合されない、属さない、また人間が耐えることのできないような誘惑《試み》は、あなたがたに臨んだことがないからです〉。しかし、神は、〔ご自身のみとこばと、ご自身のあわれみ深いご性質に対して〕真実であられ、あなたがたをあなたがたの力〈抵抗する力〈耐える力〉以上の誘惑〈試練〈試験〉に合わないようにし、また誘惑とともに、〔いつでも〕脱出の道を〈波止場まで逃れて行くための手段〉も備えてくださり、こうしてあなたがたが、誘惑の中で忍耐をもって耐えることのできる〈強い〈力ある〉者になるようにしてくださる〔と信頼できる〕方なのです。
Ⅰコリント7:21

召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。

あなたは召された時、奴隷だったのですか。それを気にしてはなりません。しかし、もしあなたが自由を得ることができるなら、その機会を利用しなさい。

↑もしも「〜このままでいなさい」だと、歴史的に奴隷解放に至る必要がなくなってしまう。さらに、世界的に今日も続く人権侵害行為にキリスト教会が何も言えなくなってしまう気がします…。